4月



 この話を旅行記に書くのはためらわれるのですが、他に書くところがないので。
 TopPage を見ていただいてお分かりのように、子供の時から、大の南海ホークスファンであったのですが、昭和とともに南海ホークスは消え去りました。
 それまで年間30試合ほど大阪球場へ観戦に通っていたのですが、南海ホークスの消滅と同時に一切プロ野球には関心がなくなり、野村さんが監督をしているチームの成績を新聞で見るぐらいでした。
 
 それが4月22日、自らではなく誘われて大阪(京セラ)ドームにOSAKA CLASSIC と題した、南海対近鉄(ソフトバンク対オリックス)のの試合を見に行きました。
 プロ野球観戦は25年目のことです。それまで1度、オリックス対日本ハムの試合にはいきましたが、試合観戦ではなく大阪ドームのVIP ROOM体験でしたので試合はほとんど見ていません。その日の参加者はほとんどが観戦ではなかったようでした。

 以前から、年に1度ソフトバンクが南海のユニホームを着て試合をするニュースは聞いて知っていたのですが、行く気にはなりませんでした。所詮ソフトバンクはソフトバンクでしかないと思っていましたから。
 球場に着くと、ちらほらと南海ホークスのユニホームを着た人が見えます。数は少ないのですが近鉄バッファローズのユニホームを着た人も。
 大阪球場で慣れ親しんだホークスファンでは違和感を覚える3塁側に座る。まるで日生球場か藤井寺球場。相手が違えば西宮球場といった感じ。
 球場に入ると、今回のチケットについていたホークスのTシャツを着こんだ人も多く、3塁側は昭和の時代よりもたくさんのホークスファンを見た感じがしました。
 試合が始まって5回までは投手戦と云えば投手戦なのですが、ボールが多く、間延びした試合。得点はホームラン1本で1対0でホークスリードでしたが、すでにその時点で1時間半を回っていたと思います。
 6回から試合が動き、ホークスが得点を重ねていき、結局は9対1で勝利しました。試合時間は3時間45分ぐらいだったと思います。
 その間、三塁側の応援団は「南海ホークス」、1塁側は「近鉄バッファローズ」、「ソフトバンク」 「オリックス」の名前はみじんも感じられません。
 私もその雰囲気に大いに乗り、7回には「南海ホークスの歌」を口に出して歌いました。
 近鉄ファンの「かっ飛ばせ・・・、南海倒せ〜よ」さえも楽しくて仕方がありませんでした。
 25年前、大阪球場での南海ホークス最終戦での、グランドに響き渡った、トランペットの「ホークスの歌」、杉浦さんの「行ってまいります」の声を思い出して、感慨無量でした。
 あらためて、25年ぶりに野球を見て楽しいと思いました。
 
 オリックスは阪急を買収して球団を作ったのに、近鉄と合併し「バッファローズ」になったことは理解できるのですが、OSAKA CLASSICをするのであれば「南海」対「阪急」も企画されてはいかがかなと阪急ブレーブスに少し不憫を感じました。

 来年も見に行くぞ!
私にとっては大きな時間旅行でした。



5月



 4月下旬、毎日新聞の囲み記事に六十谷(むそた)の流木のことが載っていたを読んで、実際に見たくなり、行くことにしました。
 新聞記事で読むまでは「六十谷」自体を初めて聞く地名で、調べてみると、JR「和歌山駅」から大阪に向かって2つめの駅であることが分かった。

 当初はJRで六十谷駅に行き、徒歩で10〜15分程度の様なので、散歩がてらと思っていましたが、行く所が増え、車で行くことに。
 

 位置はおよその見当はついていたのですが、カーナビに流木であるわけもなく、紀ノ川沿いを走っていて、河川敷には車道があり、そこに降りる道はないかと、うろうろすも見当たらず、一度「六十谷駅」に行き、訪ねようかと思った時に大きなスーパーマーケットを見つけたので、そこに行く事にした。
 私の生活圏では見た事はないが、大きなスーパーで「エバーグリーン」と出ていた。
 
 まるきり余談ですが、エバグリーンと聞くと40年ほど前の映画ですが「ソイレント・グリーン」というのがあったのですが、その中に出てくるはっきり書きたくないが最終施設が確か「エバー・グリーン」だったと思う。21世紀に食糧危機が叫ばれていた当時の作品でそれはそれなりのインパクトがあったので、良く覚えている。チャールトン・ヘストン、エドワード・G・ロビンソンなどと書いても判る人の方が少なくなったが、そのクラスが出演していた。

 表に出ていた店員さんに「ごめんなさい、買い物とは関係がないのですが、紀ノ川沿いに大きな流木があると聞いたのですがどのあたりでしょうか?」と尋ねたら知らなかったようで、「さあー」と考え込んだのを見ていた買い物客の方が「ありますよ、川沿いにずーと行けば大きいのですぐにわかります。ずーとと云ってもそんなに遠くはないですけど」と教えてくれた。
 ほぼ場所が特定できたので、後は行くだけ。時間も十分にあるので、スーパーを少し覘くことにする。
 スーパーの入り口から入ってすぐ右側別室に「道の駅」の様なご当地産の野菜売り場があった。
 大きなスーパーで品数も豊富なのには感心した。


 寄り道はこれぐらいにして、目的地に向かう。なるほど紀ノ川沿いの道路を走ると大きな流木がすぐに目についた。しかし河川敷に降りる道路が見つからず、ぐるぐると周辺を回る。
 どうしてもわからないので、少し車が退避できるところがあったのでそこに駐車する。

         

 これが2012年台風12号で流された40tの流木です。(紀ノ川上流に向かって写す。2枚目の鉄橋は阪和線)

   「ほっと 和歌山県」    NHK和歌山放送局の記事

 調べてみると、昨年7月に25tクレーンで釣り上げたところワイヤーが切れ失敗、8月に70tクレーンでの試みもワイヤーが切れ失敗、3回目に70tと50tの2台のクレーンで引き揚げたそうです。写真では分り辛いのですが根元と裏側にはワイヤーがそのまま残されていました。
 考えてみてください。巨石が、がけ崩れか何かで川に流れてくることがニュースになったりしますが、40tの石でも相当大きなものでしょうが、木ですよ。
 石の比重が大体2.6〜2.8までぐらいでしょう。木は種類でだいぶ違うのでしょうけれど(アフリカなどでは水に沈む木も)0.5〜0.6ぐらいだと思います。体積は約4.5倍から5倍にもなります。 その体積と比重が原因で流木になったのかもしれません。

 わかやま新報によりますと   記事
 
 昨年8月、 紀の川から和歌山市の六十谷橋下に引き上げられた、 高さ約7b、 直径4b、 周囲約12bの巨大流木(クスノキ)は、 歴史や民俗に関心を持ってもらおうと、 同市岩橋の県立紀伊風土記の丘で保存、 展示される。
 県教委が調査したところ、 推定樹齢350年で、 古墳時代から奈良時代に生育していたことが判明。 このことから同時代に築造された、 国の特別史跡 「岩瀬千塚古墳群」 の保全・研究活動に取り組む同施設で保存されることになった。
 平成25年度中に同施設に運び込み、 防腐処理を行う。 同施設は 「古墳時代に生育していた珍しいもの。 迫力のある巨木を見てほしい」 としている

だそうです。
 追記ですが、河川敷でアユの調査をしていた人に聞くと、河川敷には一般の車は入れないそうです。自転車やバイクは入っていました。付近に駐車場もなく、車で行かれる人はご注意を。

6月


 7泊8日の○○

 
6月1日 早朝、左耳に虫が入ったような異様な感触がする。指で左耳を触るが一向に出てこない。どうしようかなと思っていると、映画「ハムナプトラ」に出てきた大量の虫のように一斉に耳から虫が出てきた。「ワー!!!」と思った瞬間に目が覚めた。

 なんだ夢か、と思ったが左耳の違和感は現実に起きている。少し耳鳴りもする。なんだろうと思っていると、左首筋も痛い。首が回らない。左手は自由に動くので五十肩ではない。
 耳と首に異変が、と思っていたら、目にも飛蚊症が出る。この飛蚊症、飛ばずに1か所でジーとしている。右目、左目片方ずつで見てみると、あるのは左目の方だと分かった。
 その飛ばない飛蚊は春雨のように半透明でひらがなの「く」の字の形をしている。「おい、いつまで止まって血を吸っているのだ」
 目、耳、首全て左側。なんか嫌な予感。
 脳梗塞か何かが起こっているのか、起こるのか。と思いつつも、症状としては軽いので、そのまま過ごす。

 午後から土曜日なので毎週行っている事務所に行く。次週はイベント開催なので皆がピリピリしている。その中で私はみんなの会話が聞きづらい。聞き返す事が多い。
 「左側が聞き辛い。補聴器でも附けないとだめかも」と漏らす。

 二,三日してもすべての症状が同じ、首には湿布薬を貼っているが、一向に良くならない。
 そうこうしているうちに9日の日曜日。イベント開催。・・・無事終了。

 今週は医者に行こう。 13日病院に行く。眼科と耳鼻科に両科に初診を出すと、どちらから先に行きますかと尋ねられ、目は単なる動かない飛蚊症だと思いつつも「飛蚊症でも網膜剥離を起こす飛蚊症がある」と聞いていたので、それは避けたいと思い「眼科からお願いします」と云い、眼科を受診する。

 「これは間違いなく飛蚊症です。私の方からもあなたの云う く の字が確認できます。網膜剥離の心配もいりません」
 「ありがとうございます」これで目は一安心。あとはいつまでも止まっている飛蚊と一緒に暮らす覚悟を決めるだけ。くの字型だけど苦にならないように。
 時間を見ると12時を過ぎている。「初診は午前中だけなので耳鼻科は日をあらためて来てください」

 14日、再び同じ病院へ。当然耳鼻科へ問診表を書き込むと、聴力検査から始まる。
 その後診察室へ。耳の中と鼻を診られ、この現象がいつから始まり、どんな症状かを聞かれ、聴力検査の結果、左耳の聴力が右耳に対してかなり悪くなっている事が告げられた後、「あなたの病名は突発性難聴です」「この治療をすると3割が回復、3割が改善、4割は現状維持または悪化、必ず治るというものではありません」「明日から8日間の入院」

 「え〜入院」その場では、このほかにいろいろと云ってもらったのでしょうが、覚えているのは上の言葉。取り急ぎ帰宅し、入院準備にかかる。たいていの物はあるが、パジャマを買いに行く。病院でも貸してくれるとは書いてあったが自前のものにする。

 そうだ断らなければならないところがある。入院中には地元の総会とバスツアー、広報委員会も、協議会の開催日も含まれる、土曜日が2回事務局の進行も。
 バスツアーには会場かバス内でする抽選会の抽選券の作成もしなければならない。今日のお茶の稽古はお休み。
 簡単に断れるところと、事情を説明しなければならないところがあるが、説明しなければ納得せてくれそうもないところにはきちっと説明した。

 15日午前10時病院へ。耳鼻科、内科受診後、午後1時過ぎに病室に着き入院。
 点滴開始。

 今回の入院は手術をすることもないので、日中の時間が退屈で仕方がないだろうと思い、ポケットWiFiとノートパソコンを持ち込む。
 パソコンを始動させる。万事OK。WiFiの通信速度にはかなりの不満があるが、何とか入院中は我慢しなければならない。
 一応の確認作業を終えシャットダウン。3つのアップデートがあり、その後終了。

 夕食後、パソコンをオン。
 そこで大問題が。ウインドウズが立ち上がらない。パソコンが自前で修復を試みるが修復不可能と出る。「この問題をマイクロソフトに連絡する ON OFF」 当然 ON。
 ONしたところでパソコンが治るわけではないので強制終了の後、再度ON。しかし同じことの繰り返し。

 自宅であれば、いろいろ手は考えられるのですが、ここは入院先。パソコンは今使いたい。
 ウインドウズが立ち上がれば何とかなるのだが、BIOS画面にはなるのだが、セーフモードでも立ち上がらない。
 考え付いたのが、HDD内臓のリカバリ。
 あとで考えるとこれは失敗だった。もう少し落ち着いて考えればよかった。
 とにかくリカバリを始めた。

 かなり時間はかかったもののパソコンは初期状態に戻った。
 WiFiの設定をし通信開始
 ここから、通信速度の遅いWiFiでUpdateを行わなければならない。
 調べると75ほどのUpdateで5百2拾数Mある。
 これは1晩かかる。
 案の定、ほぼ1晩かかり、Updateとセキュリティエッセンシャルのインストールを終わらす。
 入院初日に徹夜。あほとちゃうか

 頭の中は病気のことはほったらかしで、パソコンのことばかり。
 自宅に電話してインターネットの設定書、OfficeのDVD、バックアップしてあるポータブルHDDなどを持参するように連絡する。
 面会は午後からなので、インターネットで遊ぶだけ。

 ここで病院(病人)の事ですが、毎日同じメニューで
 午前7時30分   朝食
 午前8時30分   耳鼻科受診
 午前10時     点滴開始
 午前11時30分  身体データ測定
 午後0時      昼食 
 午後6時     夕食

 私の場合夕方4時30のシャワータイムまたは2回の温泉入浴があった。 これは申し込んでの話ですが。
 治療については何も書くことはなく、特別な事態が起こったこともありませんでした。

 パソコントラブルと云う入院目的以外のことで冷や汗をかいたのですが、2日目には病院内で使うには支障がないようにはなりました。
 そこでネットで「突発性難聴」について調べてみた。
 調べたことを要約すると突発性難聴は発病した時期が特定できる。この時だということができるはっきりとした症状が出る。
 症状が出て、48時間以内の治療開始ならばほとんど治る。
 1週間が次の目安
 2週間を超えると完治は難しい。
 この病気はすぐ入院治療が必要なこと。
 治療法は確立されていないが、現在はステロイドを使用する治療が大勢を占めている。
 症状には軽い難聴から聴力を失うものまでいろいろ
 めまいやひどい耳鳴りを伴うものは完治率が低い
 厚労省指定の難病であること

 このことを私に置き換えると治療開始はちょうど2週間目。どの目が出てくれるのか?

 翌日以降に作業を開始し、地元のホームページを18日と20日に更新をしました。

 私自体に起こった入院中の出来事はこのようなことでしたが、同室の患者の皆様にはいろいろあり、看護師さんの苦労は並大抵のものではないことが良くわかりました。
 私が看護師さんの立場なら辛抱できなかったり、怒ったりするところを、我慢強く、笑顔で対応されていたのを見て感心させられました。
 あえて書きたいのですが、私に対応していただいた、看護師さんは若い、美人(かわいい)、親切、優しい。(悪口の)云うところがない人ばかりでした。
 特に担当をしていただいたN・Yさん本当にありがとうございました。
 近々また入院します。

 ということで7泊8日は入院でした。
 
 追記 退院してきてから分かったことですがパソコントラブルはOfficeの入ったパソコンを私が入院当日にしたUpdateをしたことが原因らしい。
 マイクロソフトの製品同士でこんなトラブルを起こしてどうしてくれるねん。怒り心頭です。

 
今年は旅行になってないやないか!


10月


 今回も近場の旅行ですが淡路島に行ってきました。
 10月28日午前中に出発し、阪神高速、明石海峡大橋を通り淡路インターチェンジで降り昼食場所を探す。とりあえず道の駅「あわじ」に寄り明石海峡大橋の写真撮影。


  


 この写真ではほとんど見えないのですが中ほどの鉄塔の上左側にUFOが飛んでいます(もちろん元の画像にはれっきとした飛行機が写っています)。
 明石海峡大橋の写真はここからの物がよく見かけます。

 遅い目の昼食を済ませ、一路「あわじ花さじき」を目指す。淡路島なので、何処へ行こうとも、そう移動時間はかからない。
 花さじきに到着し、車を止め園内の入り口に「コスモス狩り体験」2:30よりと記してある。早速、入り口の案内員に聞くと、「大丈夫今からでも間に合います」とのことだったので、行ってみる。
 園内には、少し遅めの「サルビア」の花があり、また満開時期を迎えていない「コスモス」が咲いていた。

    

 会場に着いてみると、数人の人が時間待ちをしていたが、私たちが着いてから、会場の説明書きを読むと「すべて無料」らしいが、募金箱が置いてあり何のための募金かはよく読まなかったが数百円の募金をした。
 すると係員が「では始めましょう」と云い始めた。ちょうど時間だったのか少し早かったのかわからないが、私たちの募金がきっかけのようだった。
 説明では「一人15本のコスモスを切ってください。前のコスモス畑と横の黄色のコスモスが対象です。黄色のコスモスは下の方から切ってください」と云って、剪定ばさみと水の入ったポリバケツを渡された。

   

 写真でご覧の通りの人数だったので、ゆっくりと探しながら刈り取りました。
 刈り取った花は係員が花束にし、根元には保水材を入れた袋を付けてくれた。
 駐車場無料、入園料無料、コスモス狩り無料(募金有)。大阪では考えられません。

 その花束を持って、他の他の花畑を見ていると、ラベンダーに似た花で名前が出てこないのですが、良く繁殖をするのでしょう、階段を半分以上占領していました。

 

 淡路島に来て、最初に手に入れたものは「コスモスの花束」でした。
 もちろん写真はあるのですが、特定の人物が写っているので、カット。
 ところで、知り合いに会うとは思わないところで声をかられると、一瞬誰か思い出さないものですね。
 此処でも帰りしなの園の出口付近で、「こんにちは」と声をかけられ、「どちら様ですか」と思わず訪ね、「西区の」と云われた瞬間に思い出しました。
 先方もご夫婦でいらっしゃたみたいで「お泊りですか」と尋ねたら「いいえ」と云われたので日帰りで遊びに来られたものだと思います。

 次は安藤忠雄氏設計の「夢舞台」。
 此処に来るのは3回目ですが、今回初めての処がありました。
写真は2枚とも来れば必ず訪れるところですが、今回中央の広場状の所には竹と花のオブジェがありました。

   

 もちろん此処も無料、ただし駐車場は有料ですが、なぜか私たちは無料でした。
 平日の1時間以内は無料なのかも。1日500円だと思っていたので、これまたラッキー。

 この後は今夜の宿泊場所へ向かう。

 カーナビにホテルを入れるとすぐに案内開始。しばらくすると、カーナビが案内しないところに案内板があり左折するようになっていたが、気づくのが遅く通り過した。
 それからしばらくして、左折すると、車が1台通るのがやっとの農道のように細い道だった。
 こんな所にホテルがあるのかな、と疑っていたが上り坂の頂点にホテルはありました。

 

 此処も安藤孝雄氏の設計だと聞いておりましたが建物は「コンクリートの打ちっぱなし」だったのですぐにわかりました。
 玄関で驚いたのは写真のように高さ約2.5m幅約6〜7mは在ろうかと思われる扉で、横に全開する。
 フロントで受付をするとフロントが7Fで客室は2、3Fだという。フロントが最上階で客室は下。
 建物は立派なのですが、客室は20にも満たない。
 いろいろな意味で驚かされることが多かった。
 一度泊まる価値は十分にある。
 ただこの場所は現在のところ、auの携帯電話はほとんど入らない。
 パソコンを持って行ったのですが、そんな事情でテザリングができず、インターネットにつながらない。
 何とか方法がないか調べたら、ホテルから無線LANの電波はでいている。「しめた」と思ったのですが繋がらない。
 パスワードが必要なのかなと思って、フロントに聞きに行くと、「まだプロバイダー契約ができてない、11月半ばになる」という答えでした。
 携帯電話は繋がらない、インターネットはできない。通信にとっては最悪の状態。

 食事が追加料理もあり食べきれない部分もあったが十分に満足し部屋に戻る。
 部屋についてしばらくすると

  

 ケーキが届く。
 私の物ではないのですが、同伴者が本日誕生日です。これはホテルのサービスではありません。
 サプライズを狙った人のプレゼントです。じつはこの旅行もその人のプレゼントでした。
 甘いものは別腹とばかり、おいしくいただきました。

 インターネットができないし、徒歩で出歩く周辺には何もない。仕方がないのであきらめて、風呂に入る。
 大浴場は誰もおらず、最初から最後まで1人だったので十分にくつろいだ。

 夜早く寝たせいか、4時に目が覚める。何とか時間を過ごし朝食に
 チェックアウトをし、洲本に行く。ここで少しばかりの買い物をし「ワールドパーク ONOKORO」に行く。

  

 写真でお分かりのように、平日は閑散とした状態であった。
 此処に入る前に上の写真の左端にある建物

 

 に寄る。淡路島の特産品が玉ねぎであることが一目でわかる看板です。
 淡路島の農産物を買い、買ったものを車に積んでからONOKOROに入る。
 ONOKOROには世界の有名な建築物の1/25のミニチュアがあることで知られていますが、1/25では小さい。
 せめて1/10であれば違うのでしょうが、現状では迫力がない。
 18あるミニチュアの中で数えると7つの建物は実際に訪れたことがあるものだった。

 これが縁になっているのかどうかは知りませんが、ここに兼高かおる旅の資料館がある。
 初期の「兼高かおる世界の旅」を見ていた私たちの世代はこの番組で世界のいろいろなことを知った。
 この中を丁寧に見て歩き改めて彼女がすごい人だなと関心をした。
 この放送が平成2年まで続いていたとは知らなかった。放送開始が昭和34年からなんと31年間も続いていたらしい。
 ONOKOROの入場料はこの資料館のために払ったといっても過言ではない。
 
 昨日寄った「道の駅あわじ」によりお目当ての買い物をする。その後日帰り温泉「美湯松帆の湯」で入浴し帰路に就く。
 今回の淡路旅行はここまで。
 余談ですが誕生日を迎えた人は高齢者の仲間入りを果たしました。